2013年06月23日

ベスラン学校占拠事件 2004.09.01-09.03

ロシア装備を集めるきっかけとなったのがこの写真でした。

自然と調べていくうちにこの写真の装備が事件のものだったことをと知り、その凄惨さも知っていた
ため敬遠していたのですが今回収集することに決めました。

そこでSPLAV製 Pionner M23チェストリグを入手しました。
このチェストリグを購入したのはCRS@空挺軍様の記事をみてアレクサンドル・ペーロフ中尉の名誉を知ったからです。ぜひご覧になってみて下さい。





ベスラン第一中等学校占拠事件。

確か私がこの事件を一番最初に知ったのは奇跡体験アンビリバボー(もしくは世界丸見え?)というTV番組(まだ所さんがいたころ)だったと思います。(モスクワ劇場占拠事件はなぜかリアルタイムでニュースを見ていたのを覚えている)

まずはじめにこの事件は凄惨極まりない事件だったということをご認識下さい。当記事でも痛々しい表現が多くなってしまうと思います。そういったことが苦手で気分が悪くなってしまう方にはショックが大きすぎると思うのでインターネットで検索等しないよう推奨いたします。事件当時の残酷な画像等が出てきてしまいます。

また、この事件に興味がありある程度こういったことに耐性のある方にはぜひ知っていただきたい事件でもあります。読み進める中で事件の凄惨さゆえに、イスラムの思想や宗教が”過激派”の一括りにしてしまわない様ご注意願います。当時の証言や情報が錯綜しており未解明な部分がある事件ですので当ブログではなるべくベーシックな情報をざっと紹介したいと思います。インターネットで得た知識なので正確性に欠けるとは思いますのでもし情報に間違いがあればお知らせして下さると助かります。

事件は2004年9月1日~3日にかけて発生します。

1日目
中学校をチェチェン共和国独立派を中心とする多国籍の武装集団32名程が占拠。
児童、保護者(赤子含む)、教師を人質に体育館で立てこもり爆弾を設置。


この日は始業式と入学式だった。




2日目
交渉開始。
人質解放に武装集団の要求した内容。
1イングーシ共和国に捕まっている同胞の解放。
2チェチェン共和国からのロシア軍の撤退。
3北オセチア共和国およびイングーシ共和国の大統領との直接対話。

イングーシ共和国前大統領ルスラン・アウシェフの仲介により、人質のうち赤ん坊とその母の26人が解放されたが交渉は膠着。武装集団側は苛立ち、父親や男は抵抗する恐れがあったためか児童の目の前で殺される。ロシア側は突入に備え特殊部隊の準備を進める。




3日目

武装集団側が学校を包囲する警察隊に発砲し、警官1人が負傷。
この時点で人質は水や食料を口にしていない。衰弱死する児童も。
武装集団側は睡眠薬などの混入を恐れて人質への水や食料の差し入れを拒否し続けていた。
時間がない。保護者も武装し待機する。武力突入への緊張が高まる。

13時04分頃、武装集団が立てこもる体育館で爆発発生。爆発したきっかけとなった理由については情報が錯綜。銃撃戦の前とも後ともされている。激しい銃撃戦が繰り広げられる。多くの死傷者、行方不明者がでる。
容疑者は1名を逮捕し、他は保護者や隊員に殺される。


以上が本事件の概要になります。

武装集団側には勿論ロシア政府側へ色々な意見をお持ちの方がいるとは思いますが、私はこの惨劇に至るまでに充分な要素が積み重なり回避不能な状態までに至ったと考えています。
非常に多数の人質(多くが子供。突発的な行動は抑制不可能)
即応性(人質の衰弱)
現場の混乱(保護者の介入)
ともあればいくら優秀な特殊部隊を用意しようがどこの国でも同じ結果になっていると思います。

最後に人質を守るために殉職された方々と全ての犠牲者と残されたご遺族の皆様の平安をお祈りいたします。






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